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東京高等裁判所 昭和42年(う)1568号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

<前略>

論旨第一(訴訟手続の法令違反)のうち

(二)について

所論は、原判決が証拠として挙示している永井玲子の検察官に対する供述調書二通は、同人の所在不明を理由として刑事訴訟法第三二一条第一項第二号によつて証拠調がなされたものであるが、その直後、永井玲子の所在が判明して原審公判廷において証人尋問がなされているのであるから、同人の所在不明は一時的なものであつたことが判明したことに帰着し、右各供述調書は前記法条の要件を満たさないことになり、その証拠能力は失われたので、原審は右証拠の排除をなすべきであつたと主張するが、記録によれば、永井玲子の検察官に対する供述調書二通については、昭和四二年二月二三日の原審第二回公判において、検察官から証拠の取調が請求されたが、弁護人が証拠とすることに同意しなかつたため、検察官はその請求を撤回して同人の証人尋問を請求したこと、同年四月三日の原審第三回公判において、検察官は司法警察員作成の同年三月三〇日付捜査報告書(永井玲子の実家について同人の所在を調査したが、後楽園の附近にいるらしいことが判明したのみで、その所在が判明しない旨の報告)を資料として、前記調書を、刑事訴訟法第三二一条第一項第二号所定の「所在不明」にあたるものとして同法条により証拠調の請求をなしたが、弁護人は、右資料をもつてしてはいまだ所在不明を証明することはできず、したがつて右調書には証拠能力がない旨異議を申し立てたので、原審は証拠決定を留保したこと、その後、同年四月一七日の原審第四回公判に至り、検察官は、前記捜査報告書のほか、司法警察員作成の同年四月一四日付捜査報告書(水井玲子の元勤先であるキャバレー、友人、実家、実家の者から聴取した後楽園附近の遊戯場、アパート関係を調査したが、同女の所在が判明しなかつた旨の報告書)を資料とし、前記法条により、前記の供述調書の取調を求めたところ、弁護人は「前回の意見を撤回する。永井玲子は所在不明である。」との意見を述べたので、原審は右供述調書二通を証拠決定のうえ取調を了したこと、しかるに、昭和四二年五月一八日の原審第七回公判に至り、永井玲子が公判廷に出廷した(その経緯は記録上不詳。)が、検察官は同人に対する証人尋問の請求を撤回したので、弁護人の請求により、同人に対する証人尋問がなされたこと、同公判において、裁判長から、先に取調ずみの前記永井玲子の検察官に対する供述調書の取扱いについて弁護人に意見を求めたところ、弁護人は「取調べ当時は法の定める要件を満たしていたものであり、証拠能力があつたものであるから、別に意見はない。排除決定を求める意思はない。」との意見を述べていること、なお、右永井玲子に対する尋問にさいしては、同人が同公判期日まで出頭できなかつた理由についてなんらの尋問がなされず、また、その後の原審公判廷においても、弁護人から前記供述調書の排除の申立がなされた形跡も窺いえないことが、それぞれ認められる。

ところで、記録によれば、永井玲子は、本件当時、家出してキャバレーのホステスをしていたものであることも明白であり、かかる境遇、職業の者について、前記捜査報告書によつて窺われるような所在捜査をなし、なおかつその所在が判明しないような場合には前記法条にいわゆる「所在不明」にあたるものと解するのが相当であるから、同法条によつて前記調書の証拠調をなした原審の措置に違法のかどは存しない。そして、証拠の証拠能力は証拠の取調にさいしてこれを有すれば足り、右のごとく所在不明を理由として取調を了した供述調書について、後にその供述者の所在が判明し、かつ、その者について証人尋問がなされたからといつて、直ちにその証拠能力が失われるものと解することができないことは、当審弁護人が原審弁護人として、当時、前記のごとく、正当にも開陳した所見のとおりである。前記証人尋問のさいの供述内容およびその後の原審公判の経過に徴しても、右各供述調書の証拠能力が、その取調当時に存在しなかつたとの事情を窺うことはできない。しからば、原審が右各供述調書について、証拠排除の裁判をなすことなく、これを事実認定の資料としたからといつて所論のごとき違法があるものとはいえない。本論旨は、これを主張する弁護人と原審弁護人が同一であるだけに、前認定のごとき原審における訴訟の経過に徴し、甚だしく当を失するのみならず、その理由なきことは前記のとおりであり、到底採用するに由なきものというべきである。所論はまた、前記永井玲子の各供述調書は、同人の原審公判廷における証言に照らし、同証言よりも特に信用すべき特別の状況が存しないから証拠能力がないとも主張するが、本来、右各述調書は、供述者の所在不明を要件として取調がなされたものであり、公判期日における供述と実質的に異なることを理由として取調べられたものではないから、かりに所論のごとくその内容が両者相反し、あるいは実質的に異なるものであるとしても、いわゆる特信性の有無によつて該供述調書の証拠能力を失うものではない。もとより、事実の認定にあたり、両者の供述内容の信憑性についてはさらに吟味検討がなされ、取捨選択の行なわれることはもちろんであるが、右のごときはもはや証拠能力の問題ではなく、証拠能力の存在を前提とした信憑性の問題に過ぎない。いわんや、本件においては、原認定の事実について、所論のごとくその供述内容が相反するか、実質的に異なるものとは認めがたいから所論のごとき特信性を論ずる余地はなく、これを証拠として事実を認定した原判決に所論のごとき違法の過誤は存しない。論旨は理由がない。<後略>(三宅富士郎 石田一郎 金隆史)

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